構築主義
人間の認識の脆弱性は、構築主義≒相関主義を必然的に導入する。
カントのいう「物自体」を認識する術がない・・・・という前提があるから。
しかし、人間は経験的に「実在」を信じている。
なぜならば、自分がどうやら存在しているし、父や母も存在しているし、友達も・・・目の前のオモチャも・・・とかいろいろな人たちやモノの存在を「経験」する。
「おそらくそれらは存在しているのだろう」と考えるのは自然なことだ。
問題は懐疑論的に疑うことも可能なことだ。
「胡蝶の夢」のような懐疑論をどのように克服すべきか。
そもそもデカルトが「コギト・エルゴ・スム」などと言い始めたのも、この懐疑論を克服するためだった。
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