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ラカンとかそういうヤツ おまけ その3 [無意味的会話術]


・・・
監「メイヤスーの親分のバディウが、ラカンについて書いているんだよね」
S「バディウは数学と精神分析と毛沢東の人だから」
監「まずは数学的存在論か・・・これはメイヤスーに受け継がれている」
S「カントールの集合論を存在論に・・・ってなんでやねん、という内容だし」
監「でも無から有を産み出す根拠を数学にってのは画期的じゃん」
S「オカルトだよ」
監「そうだけど、オモシロいからいいじゃん」
S「不真面目だな」
監「そっちが生真面目すぎるんじゃないの」
S「永遠に噛み合わないな、オレたち」
監「思想は論理的厳密性よりエンタメ性の方が重要だと思う」
S「さっぱりわからない(キッパリ)」
監「・・・ええと、そういえば、ドゥルーズのバディウの係わりってどうなのよ」
S「存在論における<一>と<多>の対立概念からの脱却ってことかな」
監「そうするとどうなるのよ」
S「その質問に気持ちがこもってないな」
監「だってデリダとかドゥルーズは<脱却>ばかりなんだもん」
S「外へ向かう思考ってことだからな」
監「ラカンでは現実界は外ってことだけど」
S「なるほど」
監「それほど力動的というか交通的な扱いはしていない」
S「ドゥルーズと比較してってことだね」
監「つまり脱却ってのは静的なものから動的なものへってことでいいのかな」
S「そう、それが公式みたいなもの」
監「で、毛沢東はなんなの」
S「政治思想面だけど、これは説明が難しいな、評判悪いし」
監「中国でのその後の評価と、当時(68年前後)のフランスの<気分>に落差があるってことだね」
S「立場によっていろいろあるから言いにくいけど・・・オレはサヨクじゃないから詳しくないし」
監「オレはウヨクだよ」
S「また適当に言ってるな、日和見主義だって言ってたじゃん」
監「忘れてた・・・で、ラカンなんだけど」
S「バディウの文脈だと、吉本でいうところの『対幻想』みたいなもんかな」
監「ああなんとなくわかる」
S「本当にわかるの」
監「いやオレはいつでもテキトーだし」
S「でも監督は吉本も読んでいるよね」
監「全部は無理だけど、あのおっさんはオモシロいから」
S「でも政治的な影響は受けないんだ」
監「オレは抑圧が得意だからね、アルチュセールを読むときもそうだし」
S「そうか、便利だな」
監「・・・うーん、バディウの話はなんとなく身にならない感じだからカットするよ」
S「カットでいいんじゃない。バディウはジジェクの時にセットでやればいいじゃん」
監「そうだなあ、正直バディウについては興味が薄いから忘れることが多くて・・・」
S「そろそろ介護が必要か」
監「うるせー」
・・・






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