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思想とかそういうヤツ [無意味的会話術]


S「よ、監督」
監「なんだよ、哲学科出身のサラリーマン、Sじゃん、久しぶり」
S「最近メイヤスーを読んでるって聞いたけど」
監「読んでるっつーか、表面なめてるだけ。まったく深くない」
S「で、どう思う、メイヤスー」
監「まー頭のいい人だよね。たぶん間違っているけど、論理の筋道が巧みで説得力はある」
S「間違っているか・・・それって勘で言ってるでしょ」
監「もちろん。そして彼は間違っていることを知っていて、相関主義批判を主張してると思う」
S「やれやれ(根拠はないくせに・・・)。で、相変わらず立場はジジェク派なの」
監「いやいや元々オレはヴィトゲンシュタイン」
S「そうだっけ」
監「でも、つまんねーから外向きにはジジェクってことにしてる」
S「ラカンもだろ」
監「いやラカンは完全に精神分析の人で思想系の人じゃないから」
S「なんだよ、大学のディスクールではないってことか」
監「一応そういうことにしておかないと、ラカンの立場がないだろ」
S「そうするとデリダがかわいそうじゃん」
監「いいんだよ、デリダは解っててやってんだから」
S「しかし、メイヤスーなんて流行りもの、珍しいじゃん。ブームは終わった感じだけど」
監「流行ってるかどーかは知らねーけど、課題図書なんだよ」
S「ああ、あそこの・・・」
監「まあね。Sなんかはメイヤスーとかの思弁的実在論はどうなのよ」
S「完全に範囲外。でも結論はともかく発想は趣味に合ってる」
監「ポストモダン的な相対主義が一通り終わって、次は何かって色々と蠢いてるわけでしょ」
S「つーか、スターがいないよね。現代思想の1月号が毎年ひどくて笑うしかない」
監「ああそうか。スターがいないから一時期バディウとかがアップされたりして」
S「そうそう。ひどいもんよ。バディウだって結局昔ながらのマルクス主義のオッサンだぜ」
監「いや、まだフロイトとマルクスの神通力はあるよ。21世紀中は持つね」
S「そうかなあ。フランスでダメになったらお終いじゃないの」
監「いやいや、いったんアルチュセールが上下構造を複雑化した関係でしばらく大丈夫」
S「そんなもんかね」
監「政治学としてのマルクスはダメでも、反権力思想の最後の砦だし」
S「ああ、大学関係者は基本的に反権力ってのは万国共通か」
監「しゃーないね。大学で右翼やっても学生受けしないから」
S「で、メイヤスーに戻るけど、祖先以前的ってどう」
監「あれ、ずるいよなあ。でも論点は面白い」
S「今まで議論されていなかったよね」
監「あの思考実験的な発想は分析哲学的だね、クリプキとか」
S「科学を味方につければ思想的に勝ちって判断だろ」
監「だからSの趣味ってわけか」
S「監督みたいにオカルト趣味じゃないから」
監「よく言うよ。しかし、どうしてメイヤスーは科学的実在論じゃダメなのかなあ」
S「お、さすがによくツボを押さえてる」
監「つーか、オレは正確な論理性よりザックリとしたジャンプの方が楽しいし」
S「それは哲学的な姿勢とは言えないぜ」
監「だってオレは哲学者じゃないもん」
S「逃げたな」
監「逃走論者と呼んでくれ」
S「全然違うだろ。でもカント以降の認識論を相関主義でひとくくりにするのもなあ」
監「んーまー違和感はあるけど、発想はいいと思うよ。それくらいじゃないとさ」
S「それくらいやらないと新しい時代の思想とは呼ばれないってことか」
監「あと、メイヤスーは『全体性』という発想を否定してるんだよね」
S「彼の場合は事実性が偶然性に基礎づけられてるから」
監「だから全体性という発想はないと」
S「ポストモダン以降なら誰にもないだろ」
監「そうなんだよな。だから排中律が使えなくなって面白くないんだよ」
S「おいおい、排中律を認めると否定神学につながるから」
監「いやオレ否定神学肯定派だから。極論言うとプレモダンでもいいと思うし」
S「東浩紀肯定派じゃなかったの」
監「郵便的の結論以外は肯定って意味」
S「相変わらず言ってること、よくわからないけど」
監「で、結局メイヤスーの思想ってポイントはなんなの」
S「まずは存在ってのは述語的要素じゃなくて前提ってことから始まる」
監「いきなり何だよ」
S「いやカントの話ね」
監「えーと、思い出してきたぞ、純粋理性批判の神の存在証明ってヤツか」
S「神が存在しないと仮定すると矛盾するから神は存在する、と」
監「それが第一段階」
S「次にカントは、神が存在しないということ自体が言えないので、存在証明にならない、とする」
監「おお懐かしいな、その変な論理」
S「だから神の存在論的証明は、それ自体では不完全ってことになる」
監「なるほど」
S「で、次に、神がダメなんだからモノ自体の存在証明なんかもっと不完全ってことになる」
監「まだカントの話ね。モノ自体の存在に必然性はないと」
S「そこでメイヤスーは存在を考える際に、必然性を引きはがそうとする」
監「そこが胡散臭いとこの一つだな」
S「彼は存在の必然性を排除して、モノ自体の絶対性だよって言いたいわけ」
監「なるほど」
S「さらには監督が訂正しなければならないのは、メイヤスーにとって相関主義は亡霊だってこと」
監「亡霊?デリダの(東浩紀の)幽霊みたいなものか」
S「そう。物自体から必然性を引きはがしても、それは亡霊の形で残るって意味」
監「へえ」
S「亡霊は宗教とか誘発しかねないので、メイヤスーは絶対性とか事実性とか置こうとしているわけ」
監「マジメな人だねえ」
S「だから、メイヤスーの事実性、絶対性の話では、相関主義はほとんど残ってないんだ」
監「なるほど、それは訂正するよ」
S「あと、相関主義がダメだってことは、発想の根本に懐疑論を持ってきたってことだと思う」
監「結論から導くわけだ」
S「で、単なる形而上学や独断論でもダメってことだよね」
監「うんうん」
S「そうすると、メイヤスーの実態は懐疑論と素朴実在論の組み合わせってことになる」
監「げっ、マジか」
S「相関主義を徹底化すれば、物自体の無矛盾性やその存在さえも思考不可能って話だから」
監「そういう論理で懐疑論的でかつ実在論と」
S「いや専門じゃないんで、オレの個人的な考えね。そう考えると理解しやすい」
監「でも素朴実在論は否定されてるじゃん」
S「いやそれを否定したのは相関主義だよ」
監「あ、なーる。そういうことか」
S「あと、相関主義には強い弱いとは別に、絶対性と有限性の区分もある」
監「ふんふん」
S「で、メイヤスーが敵と考えているのは有限性の相関主義で、絶対性の相関主義ではない」
監「絶対性ってのは、神ではないけど神の精神みたいなのを想定するニーチェとかドゥルーズか」
S「そうだね」
監「あとヘーゲルの弁証法的精神も入るか」
S「弁証法というと微妙だけどそうなるかな」
監「ふむふむ」
S「ちなみに、さっき言った亡霊ってのは、強い相関性で否定された物自体のこと」
監「相関主義が亡霊じゃなくて、物自体がってことか」
S「つまり、絶対性の相関主義には亡霊はいないってことになる」
監「なるほどね、むしろ表象の側にいろんな要素を取り込んでいますよと」
S「いずれにせよ絶対性の相関主義は、メイヤスーによると相関主義から除かれるんだ」
監「ん? じゃあメイヤスーにとってはカントとヘーゲルの間に断裂があるってことだ」
S「そういうこと。ヘーゲルは相関主義ではなく、『主観主義的形而上学』に属するから」
監「主観主義なんちゃらが絶対性の相関主義ってことね」
S「そうそう、興味深いことにメイヤスーは、それを相関主義と見てないんだ」
監「ええと、要するにポイントは相関主義への懐疑論と、物自体の実在論・・・だよね」
S「正確に言うと『もう既に素朴じゃなくなった新しい実在論』てことだけど」
監「もう既に子供じゃなくなった新しい女子高生みたいなものか」
S「すぐ下ネタに持ってくんだから」
監「オレはブレないよ、昔から」

註 このブログはフィクションで、実在の人物や団体などとは一切関係ありません





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