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憲法解釈と症状 [日本の症状と主体性]


 突然だが日本国憲法(1946年公布、翌年施行)の第9条の歴史について、一度整理しておく。

 てゆーか昔の日記のこれこれが現憲法の歴史のはじまりだ。小熊英二『民主と愛国』の一部を整理したもので、論点整理に役に立つ資料だと思う。

 第9条というのは敗戦(1945)後、日本の軍隊復活に「絶対ダメ!!」とクギを刺したものだ。とはいえすぐに朝鮮戦争(1950~53)がおこり、アジアでの資本主義勢力を共産主義勢力から守ることが、アメリカの新しい目的となった。前言を撤回して「日本よ、再軍備化せよ」と。そういえば自衛隊の前身の警察予備隊(1952)はGHQの命令で作られた。

 言い換えよう、アメリカによって押しつけられた第9条なのに、すぐ後でアメリカは別の考え方を押しつけてきた。これでは日本は困ってしまう。困ってしまった日本の知識人たちは「非武装中立」という考え方を選択し、その矛盾に対応しようとした。その考え方の基本は「愛国心と自立性」。当時の護憲派はここにほぼ含まれるようだ。

 さらに整理すると、極端な左翼は天皇制撤廃を訴えたため憲法に反対。極端な右翼は天皇の実権が失われたため憲法に反対。その真ん中にできたのが「非武装中立」を自称するナショナリズムかつ護憲派。しかも「絶対的非暴力」ではない。ここが現在の第9条を語る上で、おもしろい歴史だ。

 敗戦後、親も同然だったアメリカが、時間差で矛盾を押し付けてきたため、子供が狂ってしまったようなものだ。ダブルバインドによってもたらされた症状が、歪んだ「非武装中立」というわけだ。

 1953年11月にニクソン副大統領が憲法第9条を批判した。ここが朝鮮戦争に次ぐもう一つの歴史的経緯だった。これを受けて、(1)政府は改憲を意図、(2)護憲派は護憲運動(一部右翼や一部左翼を含む大きな流れ=歪んだ「非武装中立」)で、その主流はやや左寄り、(3)日本共産党は「天皇制反対」よりも「戦争反対」を優先するため改憲派から護憲派に鞍替え(ただし(2)とは合流せず独自路線)、(4)極端な右翼は相変わらず実権天皇制を唱える改憲派。

 この流れが紆余曲折ありながらもだいたい戦後から最近まで続いていた。一時の社会党や今の民主党が(2)の受け皿になったが、政権を取っても長続きしなかった。さらには潜在的に、自民党もその受け皿となっていた。中間的な大きな勢力を形成するのは、いかにも日本らしい展開だろう。

 また、その受け皿はメディアにもあって、今のマスメディアが左寄りの伝統を持っているのは、やはり上の(2)歪んだ「非武装中立」派の影響が大きい。ただし、その背景にあるのは日本という子供の「症状」だった、というのがオレの考え方だ。

 第9条を守ると言いながら同時に愛国心や自立性も維持するということは、少なくともある程度の軍事力は必要だという考え方のはずなんだが、「症状」なので、「非武装中立」派の左側は一部の記憶が欠落してしまったらしい。こういう事情により、国民の視点からは自衛隊の立場が曖昧になっている。

 安部首相が集団的自衛権を唱え始めた原因は、直接的には中国による尖閣諸島の領土主張だけど、この背景にあるのは、中国がアジア経済でトップに立ったことだろう。経済でトップになった国が軍事的主張を強めてきた場合には、多少の反発は仕方がない、という安部首相の考え方には同情の余地はある。

 愛国心と自立性を強調し、第9条がやや後退するという変更があるだけで、実は安部首相の考え方もまた上の(2)の流れの中(「非武装中立」派の右側)にある。先ほど、「潜在的に、自民党もその受け皿となっていた」と書いたのは、こういう意味だ。

 つまり、歪んだ「非武装中立」の中の矛盾を少しずつ解消していたようだが、よく見ると、左右ともに記憶を欠落しているだけで、日本はずっとビョーキのままだ。


 歪んだ護憲派の一派の現安倍首相が改憲を唱えるのは矛盾ではなくビョーキだから。

 同時に歪んだ護憲派の野党勢力が改憲に反対するのもビョーキだから。

 「非武装」という命令と「反共」という命令、この矛盾に対する「正しい態度」が、まず必要だろう。

 それが国としての主体性が生じるための条件だ。

 右翼だ左翼だと単純論法だけで考えていると、判断を誤る。・・・まーそれも運命か。








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