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ネガキャン続き [両論併記]


 片肺飛行のメディア状況を世間に通用するように言い換えると「プロテスティング(提訴、抗議)」ということになるらしい。「報道はプロテスティングでなければならない」・・・朝日新聞の慰安婦に関する記事訂正などはまさにその路線の悪い面が出た例だろう。確かにそういう時代は必要だったかも。

 しかし、構造的な弊害が出てきた。そして弊害が出てきたのは、アジアの経済的枠組みが変わったからだ。単純に言うと、日本はアジア経済のナンバーワンではなくなった。日本はアジアの王様ではなくなった。

 そういう状況で領空領土領海的な軋轢が生じたとすれば、集団的自衛権のような議論が必要になってくる。第二次世界大戦の記憶だけではなく、現在の状況の考慮も求められるため、片肺飛行的な、プロテスティング的な言説は通用しない。抗議の対象は日本政府ではなく、新しい王様に向かうべき、というのが本来のジャーナリズムの筋だから。

 オレは基本的に政治や外交に興味がないのでアベさんが正しいとか誤っているかという話はしない。ただ経済の枠組みが変われば政治、外交、軍事の議論の内容も変わってくるのは必然だと思う。

 片肺飛行の根っこには両論併記がある。つまり、いろんなバランスを考えて、書けるが敢えて書かない。あるいは書かずとも仄めかせる。それが記者の技術だろう。世論誘導のためではなく、バランス修正のためだ。それを忘れるとプロテスティング・パラサイト(プロパラ)になる。(続く)





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